視点をブラさない小説創作
視点は最初から最後まで一貫させる
小説創作では、どの視点で書くかを決定しなくてはいけません。誰の視点で書くかということです。登場人物の誰に小説をナビゲーションさせるか、あるいは、いわゆる「神の視点」と呼ばれる全体を把握した書き方で書くのか、この視点は最初から最後まで一貫させなくてはなりません。小説の中には、例えば夫婦の小説で、夫と妻の交互の視点から書く方法もありますが、この場合でも、章は明確に区切ります。同じ章の中で夫の視点になったり妻の視点になったり、ということはありません。例えば妻が夫の浮気を疑って悩むとします。「この頃、ますます夫には不可解な行動が増えた。けれど私には直接夫に訊く勇気はない。夫は邪推を嫌う性格だから、もし本当に何もないのに、浮気を疑うような言葉を口にしたら、そのことで関係にヒビが入ってしまうかも知れない。以前も誤解から浮気を疑い、大喧嘩になってしまった。今は子供の留学を控えた大事な時期だから、迂闊な行動は取れない・・・」と悩みを抱えながら夫を盗み見るとします。読者も妻の視点になって、共感して夫の浮気を疑ったり、悩んだりするわけです。そして結末を待ってわくわくするわけです。それが次の文を夫の視点で「妻の視線には疑いの気持ちが込められている。やはり浮気がばれているのだろうか」などと真相をばらしてしまったら、小説創作ではなく、コントのようになってしまいます。恋愛小説創作などでも、相手の気持ちが分からないからこそやきもきしたり、すれ違ったりしてドラマが生まれるのに、最初からお互いの気持ちをオープンにしてしまったら、読者を引き込ませることはできませんよね。